「柔軟な発想とユニークな空間創りを追求している建築家です」
人に聞かれるといつも出てくる言葉です。
依頼主からの「どういう注文にも対応してきた」からです。田植えの時期、耕運機を見ていれば一日が終わるような子供でした。農家の次男「自分の力で生きる道を見つけたかった」。
そのおもいはやがて「自分の考えたものが形になり、残っていく」建築への道を選ぶことになった。
建築を志したころ、南アルプス市(山梨県中巨摩郡)出身の建築家であり構造家の内藤多仲(1886~1970年)を紹介する新聞記事の切抜きを父からの手紙の中からみつけた。
東京タワーの設計などを手がけた内藤先生は自身の中で目標になった。
アカデミックな教育を受けたわけではない。建築事務所で修行した。
建築は「使う人が喜んでくれるものをつくらなければならない」。だが、「何かが足りない」と考え20代半ばに渡欧。半年で20カ国を巡った。建物を見て歩き、人々の暮らしの中に身を置いた。
石の建築、夏休みを1ヶ月もとるヨーロッパの人々の暮らしぶり。
そこに豊かさを感じ「歴史のストック」を感じた。そうすることで自らを磨いた。
独立後はビル、住宅・集合住宅、工場などを手がけてきた。住宅は、テレビや雑誌などで数多く紹介された。「資格の取れる家にしてほしい」-。
こんな注文もあった。依頼主は午前4時に起きて、資格を取るための勉強をする生活だという。勉強していると朝日が差し込んでくる家を提案した。
「自分に合っていて、個性があり、さらに土地のこともきちっと理解してくれて・・・」。
その希望に応えられるのが「われわれ建築家です」。
建築に求められるのは「用」「強」「美」。
建物は目的になる用を満たし、その上に強さ、美しさを満たさなければならない。「三位一体。ごまかしはきかない」。
そこに依頼主の希望が加わる。だから、建築家の仕事は格闘になります。「お客様と主張しあいながら、たがいにすばらしいと思えるものができた時、初めて喜びがある」。
建築には「答えは無限にある」と考えます。
ファッション、陶芸などに関心を持ち、福祉の問題から間伐材の問題まで考える・・・。こうした要素が自らの建築につながっていきます。
「最後は設計者の感性、生き様にまで行き着きます」。建築で人に感動を与え、楽しんでもらいたい-。そのために、独学で歩んできた建築の道。建築家として「ハングリーでいる」ことをスタイルにしたい。